心理的時間と物理的時間の真相をひもとく啓発書

ディーン・ブオノマーノ 著『脳と時間: 神経科学と物理学で解き明かす〈時間〉の謎』

紹介記事  執筆者:計画研究C01班 村上郁也 (東京大学)
脳と時間: 神経科学と物理学で解き明かす〈時間〉の謎

UCLAのディーン・ブオノマーノ (Dean Buonomano) 教授の研究業績については、時間の流れの神経基盤を探る実証的研究として本領域にとって非常に重要であり、とりわけ私自身の研究対象である知覚的現在の解明にとって大いに参考となる研究成果がそろっており、我々の研究室でもたびたび引用をしながら議論をしてきた。その時間研究の第一人者であるブオノマーノ教授の手になる新刊書籍『Your Brain Is a Time Machine: The Neuroscience and Physics of Time』(2017, New York: W. W. Norton & Co.) が出版された際には、本研究室でもいちはやく入手して精読した。そして、そこで扱われる時間研究の守備範囲の広さに感銘を受けたとともに、本領域ならびに先行領域「こころの時間学 ― 現在・過去・未来の起源を求めて ―」で我々が扱っている研究内容との間の絶大とも呼ぶべき親和性に衝撃的な印象を感じたものである。

周知の通り本領域では、時間の流れの意識、脳内で時間を刻む過程、発達や進化での時間概念の獲得、時間認識の損なわれる病態、そして時間を作る計算回路の実装を研究スコープにおき、また必然的に情報工学、神経科学、心理学、言語学、物理学、認識哲学などが融合することとなる、大規模な連携研究を企図している。「衝撃的」と述べたのは、ここに列挙した内容をはじめ我々班員が取り組んできた、あるいは取り組むべく準備を進めている、時間に関する研究分野を、上記書籍ではことごとく網羅して素晴らしくわかりやすい啓発的議論を展開していることである。そして熱気を込めて訴えかける著者の語り口には研究者としての筋が一本通っており、科学的な姿勢で言及できることとそれ以外とを明確に切り分けていて、偏った持論のおしつけをすることなく、また豊富な脚註と参考資料を添えている。アカデミックライティングの心意気を守った一般向け書籍の手本となっているように感じられた。

本書ではまず、心理的時間とは心的構成概念 ― 現実には存在せず心の上にのみ生じる気持ち ― であることを述べ、しかし、この世界で暮らす人間や動物たちにとって意味のある事柄であるからこそ共通認識として育まれた心的構成概念であると論じ、ではその意味とは何か、あるいは意味などあるのか、について神経科学者である原著者の (「現在主義」に親しむキャラクターの) 視点と哲学者・物理学者の (「永遠主義」を掲げるキャラクターの) 視点から論争を行う。正直に言えば、これら二者の視点という二項対立の構図に落とし込むのはやや過度の単純化のきらいがあるが、とかく二陣営の葛藤とすると話がわかりやすくなる例には枚挙に暇がないため、執筆テクニックのひとつと了解すれば足りる。

心理学者の私がもし仮に本書のような書籍を一から書き起こそうとすれば敬して遠ざけてしまったであろう話題も、本書にはきちんと入っている。それはニュートンの古典力学やアインシュタインの相対性理論における時間概念を筆頭とする、物理的時間に関する科学的記述である。生々しいありありとした時間の流れの感じとは対極にあるように思える物理世界の時間概念をあえて導入して、ウラシマ効果やタイムトラベルの蘊蓄を披露していく。それでどうやって本書の一体感が瓦解しないのかが本当に不思議なところで、ほとんど奇跡的としか言いようのない綾なし方で神経科学と物理学のスレッドを交錯させながら滑らかに論考が展開されていく妙味に、原著者の文筆家としての天才的技量を感じる。

本領域ならびに先行領域「こころの時間学」の計画研究班員として広範囲の時間研究分野の第一線の研究者と集い、それぞれのディシプリンの研究リテラシーにまがりなりにも触れてきた者として、また大学一般教養レベルの心理学概論書「カラー版 マイヤーズ 心理学」(2015, 東京: 西村書店) の個人訳を行った経験をもつ者として、私には時間研究の本務の一環において訳出作業の任に応じる以外の選択肢を見出せなかった。幸いブオノマーノ教授の研究業績には専門分野的に馴れ親しんでおり、原著者と年齢が近いこともあって、その場その場での原著者の脳の動きのシミュレーションに努めながら横のものを縦にしていく作業をするのは愉快とも言え、時間研究者冥利に尽きる時間の過ごし方だった。

領域代表の北澤茂教授と計画研究E01班研究代表者の池谷裕二教授には出版以前に閲読の労をいただいた。両氏より貴重なお言葉を賜ったおかげをもって本領域の船出の時期に翻訳作業の終了がかなったことに、訳者として謝意を記して本紹介記事を締めくくりたい。

文献情報
ディーン・ブオノマーノ (原著) 村上 郁也 (訳) 『脳と時間: 神経科学と物理学で解き明かす〈時間〉の謎』東京: 森北出版株式会社 (2018).